「伊東勤に感謝します」
2003年9月27日まだ野球のこともプロ野球のこともよく知らなかった頃のこと。初めて野球場で野球を見たとき、すでに西武のキャッチャーは背番号27、「伊東」だった。
ハムは田村、ロッテは袴田、近鉄は梨田だったが、それはまた別のお話。
あれからもう、20年近くも経っている。その間のライオンズや伊東捕手については、色々ありすぎて何を書いたらいいのか分からない。
幾度にもわたるリーグ制覇に日本一、最強の西武軍団にはいつも捕手・伊東勤がいた。
常勝時代を知る選手が年々少なくなり、自身もコーチ兼任ながら望んで現役を選んだ昨季。正捕手としてリーグ優勝を果たしたときには、まだ引退は遠いとばかり思っていたけど。
今はただ、「長いこと、お疲れさまでした」という言葉しか見つからない。
出来ることなら捕手として日本一の座に返り咲き、昔を懐かしむように言われる「西武の黄金時代」というフレーズを過去のものにしてほしかった。
だけど伊東の挑戦は終わった訳じゃない。悲願の成る日はきっと来るだろう。そんな気がした。
---
選手伊東の最後の仕事、2回裏は二死二塁、バーンの前に二ゴロに終わる。野田捕手に交代した3回以降に好調と見えた松坂が乱れ、5回表にローズの満塁弾などで7失点。結果3−9で近鉄勝ちながら、ヒーローインタビューはなかった。
ハムは田村、ロッテは袴田、近鉄は梨田だったが、それはまた別のお話。
あれからもう、20年近くも経っている。その間のライオンズや伊東捕手については、色々ありすぎて何を書いたらいいのか分からない。
幾度にもわたるリーグ制覇に日本一、最強の西武軍団にはいつも捕手・伊東勤がいた。
常勝時代を知る選手が年々少なくなり、自身もコーチ兼任ながら望んで現役を選んだ昨季。正捕手としてリーグ優勝を果たしたときには、まだ引退は遠いとばかり思っていたけど。
今はただ、「長いこと、お疲れさまでした」という言葉しか見つからない。
出来ることなら捕手として日本一の座に返り咲き、昔を懐かしむように言われる「西武の黄金時代」というフレーズを過去のものにしてほしかった。
だけど伊東の挑戦は終わった訳じゃない。悲願の成る日はきっと来るだろう。そんな気がした。
---
選手伊東の最後の仕事、2回裏は二死二塁、バーンの前に二ゴロに終わる。野田捕手に交代した3回以降に好調と見えた松坂が乱れ、5回表にローズの満塁弾などで7失点。結果3−9で近鉄勝ちながら、ヒーローインタビューはなかった。
コメント